優等生は生きづらい

優等生は生きづらい。

僕はいわゆる優等生だった。

どこか斜に構えている部分があったり、学校の課題は適当にこなしていたりで、クソ真面目という感じではなかったが、優等生に分類されるような人間であったと思う。

小学校のころはずっと遊んでいた。一人で暇なときは、勉強をするのではなく下手くそなマンガを描いたりゲームをしたりして遊んでいた。何の変哲もない、特に特徴のない子供だった。

地元の公立中学校に入って、最初のテストで学年順位一桁をとった。そこから、勉強ができることが僕のアイデンティティとなり、勉強だけは頑張るようにした。その結果、中学3年のころには毎回学年1位をとるようになった。

部活もやってはいて、部内ではそこそこできる方だったが、対外試合はほとんど勝ったことがなかった。熱意と勝負強さみたいなものが欠けていたのだと思う。だから、部活は僕のアイデンティティとはならなかった。生徒会もやっていた。だが、それも先生に推薦されて入ったもので、自分の意志はなかった。だから、これも違う。周りに色恋の噂が立ち始める年ごろであったが、僕が関わったことはなかった。かわいいなと思う子がいても、アプローチする熱意も勇気もなく、自分から話しかけに行くような社交性もユーモアも持ち合わせていなかったので、ただ目で追ったり、妄想をするばかりであった。だから、そういった青春みたいなのも特になかった。僕はただの優等生であって、周りからの尊敬みたいなのは受けたりしたが、ただ勉強ができるだけの生徒だったのである。

高校は近くの公立の中で一番学力の高そうなところを選んだ。もちろんいい大学に行くためというのが最も大きな理由であったが、優等生以外の属性を得たいという気持ちがどこかにあったように思う。レベルの高い高校に行けば、勉強ができるのなんて当たり前で、勉強以外に何があるかというのが個性になるのではないかと考えていたのだ。

しかし、そうはならなかった。入学最初のテストで学年1位をとってしまった。先生にこのまま頑張れば東大に行けますねと言われた。ああ、高校での順位どころの話ではなく、東大に行けちゃうのか。雲の上の存在と思っていた、あの東大に。なら、それを目指せばそれでいいじゃないか。こうして、僕の当面の目標が決まったと同時に、「優等生」以外のアイデンティティ獲得は先延ばしされたのである。

高校では、それなりに熱意をもって勉強に打ち込んでいた気がしていたが、今思えば消化試合みたいなものであった。テストの順位もずっと上位をキープし続けていたし、自分は東大に余裕で入れるのだろうと信じて疑わなかった。そして結局入れた。僕の高校時代はさながら誕生日プレゼントを待つ子供のようなものであった。これ買ってあげるからねと親と約束したものの、誕生日当日までは待ちなさいと言われ、それを待ってうずうずしている子供のような心情である。僕の場合、数か月などではなく、3年待たされたということだ。東大の合格発表を見た時は、もちろん喜んだが、それと同時に「やっと終わったか」とも思った。

楽しくなかったわけじゃない。数は少ないが友達もできたし、勉強より部活に割いた時間の方が多かったくらい部活にも打ち込んでいた。でも、部活では結局あまり勝てなかったし、色恋の方は相変わらずであった。やはり僕のアイデンティティは「優等生」のままだった。

それでも。ようやく大学に入ったんだ。しかも東大。勉強なんて余裕にできて当たり前な人たちが集まっているだろうこの場所で、ようやく「優等生」以外のアイデンティティを見つけられる。そう思っていた。

しかし、そうも突然個性なんてものは手に入らないのである。入学したてに所属した教養のクラス。そこには、東大生ながら遊び慣れしてそうなチャラいやつや、ユーモアのあるやつ、逆に数学を極めているやつとか誰よりも勉強できる超優秀なやつがいた。対して、東大に入れるくらい勉強はできて、部活もずっとやってきたが、それだけの僕。会話でたまに気の利いた返しをできたりはするが、たいして盛り上げられるわけでもなく、共学出身のくせに異性にあまり慣れていない僕。東大において掃いて捨てるほどいる凡庸な人間の一人である。「優等生」のレッテルが外れれば何か他のものが手に入るだろうという考えは甘かった。結局、それを取ったら何も残らないような人間だったのである。

なら何か行動を起こせばいい。そう思われるかもしれない。意識高いサークルに入るとか、海外留学するとか、インターンに行くとか。しかし、それをするだけの熱意が僕にはなかった。

そう、熱意などなかったのである。最初から。

勉強なんてやるのが当たり前とされていたから当然のようにやっていただけだし、特別熱意をもってやっていたわけではない。たまたま得意だっただけなのである。周囲の人は僕を偉いと褒めてくれたものだが、ちっとも偉くなんかない。たまたまできただけなのだから。夢も目標も熱意も努力もそこにはなかったのだ。

部活だって生徒会だって、自分の積極的な意志で始めたことじゃない。

人付き合いや色恋というのは苦手だった。強制されるものではないし、やり方がわからなかったから。

将来の夢なんてなかった。そういうのを書かされるたびに困ったものだったが、テキトーに研究職とか書いていた。おそらくそう書いたのは、自分が進むであろう理系の大学への進学というレールの果てにある職業だと考えていたからだろう。レールの向かう目的地にさも行きたいようなふりをしていただけであって、そこに熱意も興味もなかったのである。

趣味も特になかった。休みの日は勉強とネットサーフィンしかしていなかった。

そう、自分の意志でやってきたものなど何もなかったのである。与えられたものの中からベターなものを選んできただけの人生だったのだ。

そして、黙っていたらこれからも同じような人生を歩んでいくことになるのだろう。ベターな学部を選び、そこそこに勉強を頑張って、そのまま院に上がり、修士で就活して、そこそこの会社に入る。何も熱意はない。

熱意がない場合、博士課程まで行く選択肢はあり得ない。研究者なんて熱意が必要な職業の最たるものである。待遇もあまりよくない上に、研究だけでやっていればいいかというとそういう訳にもいかず、役所にお金がもらえるように研究テーマを考え、成果を出してぽんぽん論文を書き、プレゼンしなきゃいけない。思いの外雑務も多い。そんな環境でもいいから、研究をしたい。そういう熱意がないとやっていけない道である。

東大に入るとやたらと周囲から期待をされるものである。きっとすごい学者か官僚か高給取りになるのだろうと。実際には大して本気で言っていないかもしれないが、そういうのが積み重なると知らぬ間にプレッシャーになっているものだ。周囲が言わなくとも、社会通念としてそのような圧力を感じてしまう。東大に入ったんだから….と。

だから、勘違いをしてしまう。自分はすごい人間なんだ、と。真面目にやってきたんだから報われるはずだ、と。本当はただ勉強が得意だっただけなのに。

何者かになるには、熱意が必要である。才能だけでは無理だ。何かに人生を捧ぐ覚悟がないと、何も成し遂げられない。

僕には勉強の才能はあったが、それだけである。興味が湧くことはあっても、それに生活のすべてを捧げるような熱意はない。

もしかしたら、熱意がないわけではなく、ただプライドが高すぎるだけなのかもしれない。こんなことに俺様の人生を捧げるのはもったいない。そんな風に思い上がっているだけなのかもしれない。そうして自分のプライドを大切にとっておいて、くだらない人間のまま死んでいくのかもしれない。

いずれにせよ、優等生は生きづらい。

正確には、勉強しか取り柄のなかった優等生は生きづらい。

僕はどんな道に進もうか。大学4年になるが、まだ答えは出ない。


なむ

うーん…..暗い!!!!!

これは自分が大学時代に書いた「病みポエム」です。

そこそこ楽しく大学生やっていましたが、「自分の空虚さ」「何者でもない感覚」に苦しみ、人知れず自分を呪っていた時代も自分にはありました。

さすがに何もかも自分と一致する人はいないでしょうが、同じような苦しみを味わっている人、あるいは味わってきた人はいるんじゃないかと思います。

そんな人に「あなたは一人じゃない」というメッセージが届けばと思い、この記事を投稿しました。

また、うぬぼれではなく、「偏差値ではトップの大学である東大に入ったのに」こんな風に苦しんで迷走してしまうとい経験を経て、

中高までの教育と大学以降、そしてその先のキャリアのギャップがとても大きい

ということを強い課題感として感じるようになりました。

その一助として、「大人の学び」を応援するメディアにしたいというのが、本サイトの設立の背景だったりします。

「本当は色んな選択肢があるし、やりがいのある楽しい世界が待っているよ」

当時の自分のような人にこんなメッセージを届けるために、これからも発信を頑張ろうと思います。

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